16 「 夏のワルツ 」
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muraho
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hey
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oi
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ahoi
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kia or
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jumbo
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空を見上げていると、思い出す言葉。
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しばらくすると、
別の言葉たちも。。
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それは
口をつぐみ、しまいこんだ。。
誰かさんの瞳から目をそらし、
隠してしまった、あの日の言葉たち。
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忘れられていたことを恥ずかしがりながら、
でも、嬉しそうに、
芽生えるようにポツポツと顔をのぞかせます。
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辺り一面にたたずむ色は、
朗らかなパートナーになれるように、
先駆けの東風さんからレッスンを受けています。
風にお供してきた音たちは、行き過ぎることもなく、
そして、驚かさないように、
しずしずと満ちながら待っています。
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色と音が手を携え、いちにぃのさんと呼吸を合わせたとき、
世界は青と白、二色の鍵盤を持つピアノを用意してくれます。
夏の始まりを告げるワルツを、颯々と奏でるために。
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こうして
ひとつの年に、それぞれの、
初めての夏が誕生していきます。
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Sergei Arsenevich Vinogradov (1869-1938) Russian painter
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17 「 刻印の扉 」
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お前は、初めてではないな。
どこか見覚えがある。
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3年前、それとも5年前。
いやいや、あれは季節外れの嵐が去った翌日だった。
ということは、6年前だな。
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散歩の途中だったか、
いや、あれは、旅の装束。
袖のすり切れかけた上着に、
ボロボロのリュックを担いでいた。
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そうか、
へんてこりんな質問をした男だな。
あまりに愚問なので、伝えた答えも忘れてしまった。
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「愛より美しいものは、どこにありますか?」
いいや、少し違う。 これだったか。
「涙より儚い雫はどこに売っていますか?」
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確か、そんな問いだった。
まあいいだろう。
たいした答えは言っていないだろうから。
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何々?
また性懲りもなく、質問したいのか。
年を重ねても、性は変わらないというが。。
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ふむふむ。取り憑かれたのか。
愛の亡霊が、屋敷に住みついて夜な夜な。。
最近、とみに体調が思わしくない。
今日にもお迎えが来そうと、おびえているのか。
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それはそれで、
楽しい稀な経験という物ではないか。
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そうか、
辛い、苦しい、恐ろしいというのか、毎日が。
夕暮れから、朝日が昇るまでの時間が、
少しずつ長くなっている。
夜が永遠に続くのかもしれないと、震えているのか。。
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「どうすれば、美しい亡霊から逃れられる?」
それが、質問なのだな。
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さして、役立つ答えは与えられぬ。
いや、答えを持ち合わせておらぬのだ。
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いつか眠っている間に、
目を開けることもなく、連れ去られてしまう。
死よりも、連れ去られることが、怖い、恐ろしいのか。
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答えにあらざる、言葉を、ひとつ進呈しよう。
連れ去られるより、恐ろしいこと。
死ぬより、悲しく、痛ましいこと、を。
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すべての恐ろしきものより、あからさまに醜く。。
すべての哀しみより、険しくみじめな言葉を。
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私の後ろに回るがいい。文字が彫られているはずだ。
我を造りし人から与えられた、ただひとつの言葉
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私が見ることのできない場所に、
その言葉が彫られているはずだ。
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Oblivion 「忘却」、と。
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Mikalojus Konstantias (1875-1911) Lithuanian painter
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18 「 闇をみつめて 」
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そこにいるのよね。
あなたの名前は知らないけど。
きっと、わたしの独り言を聞いているわ。。
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いつもそこにいるって感じていたから。
あなたが何者なのかは、よくわからないけど。
ただ、じっと見るだけの人?
それとも、目をつぶり、聞いているだけの人?
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知っている?私たちが囚われていることを。
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知っているわね。
私たちが、とても臆病だってことを。
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闇におびえ、光にさえ
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そう、光でさえも、私たちに優しくないことがしょっちゅう。
それが私たちの。。
言葉が見つからなくて。。
沈黙だけが、残ったとしても。
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あなたを畏怖する、
賛美する言葉がすべて失われたとしても
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私は平気。
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あなたはきっと違うわ。
あなたのことを
あなたらしく、ありつづけさせるのに
甘苦い、香りの華やかな、
言葉の毒と、輝きが必要でしょうけど。
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光がすべて失せても
すべてが闇に飲み込まれたとしても
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ひとつ、ひとつの命に隠された
秘密の言葉が失われたとしても
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あなたには決して負けないわ。
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それがわかったの。
だから、あなたに伝えてあげる。
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もう、遅すぎる。
私は知っているから。
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言葉より大事な物がわかったから
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記憶は、魂の記述と言うのでしょう。
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私は、
あなたが人に語る言葉ではなく
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そう、
言葉ではないもので、記憶したの。
そして誓ったから。
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Charles Webster (1872-1930) American painter
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19 「 不倶戴天 」
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ここで会ったが、
ここで会ったが、100年目。
よもやこの顔を
右の頬に刻まれた傷を忘れたとは言わせない。
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尋常な決闘など、貴様に望みはしない。
積年の恨み、仲間の流した血と涙。
そっくり丸ごと、
2倍3倍にして返させてもらおう。
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乾坤一擲
この刃にすべてをかけて。
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剣の長さが足りなければ、
我が手、そして腕を刃に変えてでも
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あの日に生まれた、燃えさかる炎の怒り。
嘆きの海を漂いながら溶けることのなかった、氷の憤り。
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憎しみに勝る力のないことを知るがいい。
まなこから消えることのない友の顔、
耳の中で木霊する部下たちの声、
ぼろぼろにちぎれてもはためき続けたドクロの旗、
そのすべてにかけて、味あわせてくれる。
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切り刻まれ、えぐられた傷から
断末魔の懺悔を、
赤黒くドクドクとあふれさせてくれよう。
あの世で待っているみなに届けるために。
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我が名は、ジョセフィーヌ3世。
カリブ海の覇者、赤い悪魔とは、私のことだ。
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Johan Axel Gustav (1831-1913) Swedish painter
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20 「 二人だけ、 Just us ? 」
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「ねえ、おばさん。。
なぜ彼女を僕に紹介したのかな?」
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「そうね。。
きっと、そう。彼女の。。」
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☆☆☆
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「幸せね。私たちって。
周りで、すべてがしずかに止まっているみたい。
やわらかく感じるわ。
言葉もいらないくらい。
ごめんなさいね、そんなことを言いながら、
おしゃべりしてしまって。。」
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「おしゃべりしてくれて、かまわないよ。
僕にもわかる。
いくら鈍感な僕にでもね。。
世界が誰かさんの言葉だけで満たされていく。。
こんなに幸せなことはきっとないさ。」
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「あのね、あるわよね。。。」
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「なんだい、何があるのかな。」
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「あって欲しいなあ、と思っていたの。
いつまでも続いて欲しいなあって
そういうものって、きっとあるわよね。
小さな夢があるの。
坂道のある街で、道の交差するちょうどそんな角に
小さな家でいいから、暮らしたいなあって。。
満月の夜には、錦江湾に白く浮かんだ
お月様を眺めるの、ほおづえをつきながら。。」
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「そうだね、いいのかもしれない。
うん、きっとかなうかもしれないよ。」
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「そう、そうよね、きっと。
良かった。。」
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「しずかね、しずかな幸せがいつまでも。。
ねえ、笑わないでね。
好きな?あこがれていた言葉があるの。。
言ってもいいかしら?」
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「かまわないよ。」
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「 Just us ? わたしたちだけの世界よね。。」
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☆☆☆☆☆☆☆
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「ねえ、おばさん。
どうして彼女を紹介してくれたの?」
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「どうしてかしら、やっぱり育ちが良かったからかしら。」
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「そうなんだ。。で、彼女の性格のことは?」
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「そのことはわからなかったし。。
でも、やっぱり、お育ちって大事なものよ。
それに、欲張りすぎてはいけないでしょう? 」
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John Singer Sargent (1856~1925) American painter
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21 「 通り雨 」
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ポツポツ
パラパラッ
バラバラバラ
ザー
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しばらくすると、
バラパラバラパラ
ポツポトポツ
ポトポトンポットン
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明け方や、お昼前。
そして、夕暮れを彩るとおり雨
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不意打ちと、小さな予感が合奏する
気ままなコンチェルト
それは、例えようのないひととき。
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名を告げることのない、8月の、灰色や白い装いの旅人。
その後ろ姿を、静まりゆく世界の片隅で、見送ります。
木肌に滲むお湿りや、
花びらの上でゆれる雫を感じながら。
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とおり雨の落とし文を
追憶の引き出しにしまうのは、ささやかなよろこび。
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祖母が残してくれた物の中に、
一通の手紙があります。
螺鈿細工の箱に大事にしまってありました。
小ぶりな匂い袋が横におかれていて。
便箋の端に、かすかな色落ちが。
折り皺は不思議なくらいまっすぐに伸びています。
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便箋の最後の一枚に、五線譜が手書きで記されていました。
ひとつひとつの線が、サーサーッと黒インクで引かれ、
数小節分の音符が並んでいます。
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おかしなものです。
音符を、メロデイーをなぞっていると、
初めて祖母の家を訪れた、夏の日々のことが。。
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手を引かれながらの午後の散歩の途中、
銀色のシャワーが降り注いで。。
見上げては、瞳に舞い降りる透明なしずく。
頬や髪にふれていく風の笑い声。
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家に帰ると、びしょぬれの私を
祖母が着替えさせながら言いました。
お母さんたちには内緒ねと。
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それから、口ずさんでくれたのです。
ハミングだったのかもしれません。
歌詞はあったのでしょうか。
言葉は何も思い出せないのですけれど。
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トウヒの森の外れにすむ
若い音楽家から、祖母へ届けられた一通の手紙。
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五線譜の下には、
「青空、とおり雨。そして、ある人の印象。」
と、言葉が添えてありました。
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変わらないことも、それぞれ。
残されるものも、いくつか。
忘れていたことが帰ってこれるのかもしれません。
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Theo Van Rysselbrerghe (1862-1926) Belgian painter
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22 「 調弦のヴェルベット 」
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星を数えて、星の数を。
星を見上げて、だったかしら、あの曲の始まりは。。
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ひと巻き
もう、ひと巻きね。
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ちょっとずれている 高すぎるわ。
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キリ、キリッ。これでは低すぎる。
苦手なのよ、こういうのって。
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器用な方だと思っているのに、いつか神経衰弱になりそう。。
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これで丁度いいことにしましょう。
人生には妥協も大事だから。
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そう言えば、そろそろ登り切れたかしら。
山の方、いいお天気が続くといいけれど。
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あの人はちょっとだけ変わっている。
それとも山に行くから、変わったりして。
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どんな気持ちで山に登るのかしら。
頂上に着いたら、どんな気持ちがするのかしら。
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聞きたいけれど、聞いちゃいけない気もする。
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そうだった。いいこともあるかしら。
彼の山日記をちょっとのぞいてみたの。
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フーンと思ったわ。
登り切って、頂上に着いたら、
世界の天辺にいる気分なのかと思っていた。。
パノラマが無限に広がって、眼福のひととき、とか。
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人それぞれかもしれないわね。
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人生も山登りみたいに、感じているのかしら。
何合目。何番目のベースキャンプ、とか。
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待っている私は、
何合目なのかしら。
恋や愛が1合目、3合目あたりだったら、
結婚は。。
人生の登山口はどこなのかしら。
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今度はちゃんと待てそう。
しばらくは待てるかもしれない。
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登り切ったら、下るだけ。ずっとそう思っていたのに。。
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そうよね。
世界を見下ろしていた。なんて、胸を張る人より。。
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頂上で、空が始まったって、
つぶやく人の方が好みなのかも。
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Johan Axel Gustav (1831-1913) Swedish painter
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23 「 海の贈り物 」
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「まだ決めていないって。。
いいのですか?
絵に出会って、お話を用意するのが普通なのに。」
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「ええ、確かにそうです。
いつもは、絵や画家さんとのキャッチボールで始まります。
悲しさ、嬉しさ、躊躇い、
眺めて、佇んで、のぞき込んだり、話しかけたりして、
少しずつ言葉が生まれてくるんですけれど。
今回はちょっと違います。
こんな風なことがあったものですから。。」
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☆☆☆
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季節が巡るたび。
微妙に違いますね、正確に言うと。。
季節に追い抜かれそうになると、ちょっぴり慌てて、
散策に通う海辺があります。
まばらな松林や草むらが背後にある、
南向きに開いたこぢんまりとした浜辺です。
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そこで二人の女性、親子に会いました。
まったく知らない人たちということにしておきましょう。
午後のちょっと遅いころでした。
お日様が小首をかしげて、オレンジ色の手を振りながら、
今日を楽しそうに振り返る、
瞳あたたまる刻まで、もう少し間があります。
海から吹き寄せる、ほんのりと塩あまい風を受けながら、
のんびりと歩いていました。
腰掛け岩と呼ぶ、お気に入りの場所を目指して。
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ボーッと、気ままに歩いていると、
普段は忘れていること、
記憶の回廊の片隅に置き去りにされたパスワードや、
封印された言葉のため息が聞こえてきたり。
そんなことがあるものですから。。
退屈しのぎでもなく、かといって生産性も期待できない、
のどかな時間の無駄遣いといったものです。
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砂の上に足跡を置くように、のんびりと歩いていると、
左手の松林の中から、
ゆるやかな斜面を降りてくる人たちが目に入りました。
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下草に挟まれ、茶色い松の葉が敷き詰められた、
小道が幾本かありますから、
その一つを歩いてきたのでしょう。
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二人は親子かなと、それが最初の印象でした。
お母さんとおぼしき女性が茶色いバスケットを持ち、
ハウスチェックのワンピースを着た、
女の子の手をつないで歩いてきます。
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岩場の手前ですれ違います。
お母さんはちょっと会釈をし、女の子は手を振りながら、
渚の水際に沿って歩いて行きます。
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私は岩の上に腰掛けます。
上着のポケットから取りだした古い手帳を開き、
考え事の引き出しも開けていきます。。
あるページのメモに気になるところがあったのです。
何を思いながら書いたのか、よくわからないのですが。。
小さな金釘の青文字で、「から」「への」とあります。
「から」と「への」の間に矢印が引かれていたり、
線で囲まれた二つの言葉が、いくつかバラバラに、
配置されるように記されています。
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何かを考えながら、まとめようとしていたのですね。
それだけはわかります。
ただ、遠い昔のメモですから、
イメージの点と線すら思い出せないのです。
因果律が崩壊してしまい、紡ぎ直すことができません。。
情けないことですが、
自分の残したメモなのに。。
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メモと小競り合いをしていると、
ため息が生まれそうになります。
もう少しわかりやすい言葉を残しておけばよかった、と、
愚痴を言いたくなっていました。
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ブツブツと呪いたくなりますが、やはり不謹慎です。
誰もいないところですから、慎まなければ、
場所柄をわきまえないといけないと、辺りを見回します。
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浜辺の真ん中くらい、
波打ち際に先ほどの親子がいました。
海つばめや、引き波と戯れているのでしょうか。
一緒に、そして交互に、しゃがみ込んでいます。
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わけはわかりませんけれど、
大事な時間をすごしている、
そんな感じがただよっています。
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それで、ついつい遠目で観察することに。。
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しばらくして、あることに気づきます。
色の付いたガラス石、貝がら、サンゴの欠片、
といったものを拾い上げているのかと思っていたら、
どうも違うようです。
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手に持った物から、何かを取り出し、
波打ち際の砂の上に置いているように見えるのです。
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何かを置く作業が終わったのでしょうか。
二人は波打ち際を離れていきます。
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あるところで少女が立ち止まります。
振り向き、戻りかける彼女の手を、母親が握ります。
しばらくすると二人は砂の上の足跡を辿るように、
松林の道に戻っていきました。
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親子が去った後、
私は岩の上で、じっとしていました。
彼女たちがいた場所に行くことは、つい考えましたが、
そうはしませんでした。
確かめるって、何を確かめるのでしょうか。
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そのかわりに、
一人の女性のことを思い出していたのです。
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浜辺に散歩に通うようになった、初めのころです。
そぞろ歩きをされている、
軽やかな風情の、老婦人と会いしました。
距離を置いてすれ違いながら、会釈するだけです。
お互い、一人歩きのマナーを守ったのかもしれません。
無言で、ただ会釈するだけ。
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夏の終わり、もう秋の入り口くらいだったかもしれません。
散策の途中、低く垂れ込めた灰色の雲から、
大粒の銀色の雫がワラワラと落ち始め、
気まぐれな風もあおるように吹いてきました。
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散策されていたご婦人の傘が、
海に飛ばされてしまいます。
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私の大きめの傘で、家までお送りしたら、
ズボンが腰上まで濡れた私に、
紅茶をごちそうしてくださいました。
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そのときに
出窓に飾ってあるガラスの花瓶と、
そのなかの小さな貝殻の
ことをお話してもらえたのです。
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悲しみの花瓶
喜びの花瓶
というものが、
近在の女性たちの風習としてあるそうなのです。
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心の中に入りきれない悲しみに出会ったとき、
浜辺に貝殻を探しに行くそうです。
そして、悲しみの花瓶の中に
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あふれる感謝を言葉に表せないときに、
浜辺に貝殻を探しに行くそうです。
そして、喜びの花瓶の中に
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女性が持てる花瓶はどちらかひとつだけ
ふたつは持てない決まりだそうです。
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ご婦人は、窓辺の花瓶が
どちらなのかは教えてくれませんでした。
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ただ、
ニコッと笑いながら言われたのです。
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いつか、娘が、この貝殻を海に帰してくれると思うのです。
約束しましたから。。
娘には、幸せの花瓶を窓際に並べて欲しいですね。と。
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そして、悪戯っぽく、ウインクを。。
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☆☆☆
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「はい。ここでおしまいです。
ひっくり返しても、逆立ちして、質問しても、
この続きはありませんよ。」
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「そういうことですか。
本当にこれでいいのですか?絵を用意されていないなんて。」
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「ええ、これでいいと思うのです。
海辺の好きな方、貝殻を拾ったことのある方へお届けする、
追憶と未完成のおぼろな印象ですから。
心の中に、一枚、いえ数枚かかっている海の絵。
その絵を思い出してくだされば。。
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お話のうしろの空白、そのまっ白いページに、
海の贈り物が見えてくるのではないでしょうか。
それが、私が願うことなのですから。」
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