第三章 「幻冬花」
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いくつかのお月さまが生まれては、欠けていき、
それとともに、季節も来たりては、人々に記憶や思い出という
ささやかな贈り物を届けては、いずこへかと、去りゆきます。
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男は、ひとつ、ふたつと冬を数えます。
そして、ある年の冬、
冬が終わったと気づいたその日に、
我が家に、別れを告げることにしました。
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何かがあったわけでもなく、何かを起こしたのでもなく、
何とはなく、そうしなければならないような気がしたのです。
本人も、正直言って、よくわからないのです。
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ただ、冬を追いかけてみようかと、
そう思っていました。
どこかに冬さんは移動しているだけで、
必ず、どこかで冬さんが
あの透明で、輝きに満ちた、笑顔が見れるはず。。。
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地球は、お星さまは丸いのです。
昼も夜もありますし..。
あの暖かい光を、
たった一瞬も途切れることなく、
送り届けてくれるお日様。
そのまわりを、ぐるりぐるりと、
何もない真っ暗な空間を、迷子にもならず、
回り続けています。
雨は、雪は上から降るものですし、
大地から、大空へと舞い上がるさまなど、
男は、見たいと思っても、見れたこともありません。
いえ、聞いたこともないのです。
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何が不思議で、何が不思議ではないのか、
考えてみれば、よくわからないことばかり。
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以前に、少し賢くなったような物語を書きました。
あれは、本当に男が書いたのでしょうか?
書いたという、そんな夢を見ていただけでは?
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二日ほど前から、さび落としをして、磨きあげた、
ピッケルや、ランタン。三角テントも、綺麗にたたみます。
蜂蜜酒の樽は、納戸の奥に、布にくるんでしまいます。
出来あがった原稿は、油紙に包んで、
天井裏の箪笥の引き出しに、しまいました。
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分厚いドアに、真鍮のカギを差し込んで、
ガチャガチャッと、2回ひねります。
オフホワイトのリュックを、背負い、
火のついていないパイプをくわえて、
男は、ゆっくりと歩き出しました。
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三つの山、4つの小さな川を越えて行きます。
すると、真水をたっぷりとたたえた大きな湖が眼前に広がっていました。
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帆をかかげた小舟で二日がかりで、渡り終えると、
岸辺に大きな街が。。
港にはさまざまな色取りの舟が、集まってきています。
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湖水地方の、ありとあらゆる人々が、そこにはいました。
すこしずつ響きのことなる言葉を、
囀るように使っています。
笑顔や、安堵、焦りや、憤り、泣き顔、
いろんなものが、入り混じりながら、
あふれています。
さまざまな言葉の織りなす、華やかなしらべに男は、
しばし耳を傾けます。
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赤く屋根を染め上げた家々が、同心円状に拡がっています。
石畳の敷かれた中央広場には、
無数の鏡におおわれた、
たかい、たかい塔。
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空を流れる白雲に突き刺すかのように、
その先端は細くなってゆきます。
世界の過去を反射しながら、
身近に寄り添う未来と、今を、
まばゆいばかりに受け止めて、
踊り子さんのスパンコールのように、さざめいています。
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塔のはるか高みには、
八角水晶が紅に点滅する極星がみっつ。
影が追いつけないほどに、
ヒュンヒュンと、すばらしい速さで、
互いを求めながら、かけめぐっています。
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男は、見上げ続けていたことを、首のだるさで、
思い出しました。
気づけば、行き交う人の波の中に。
ところどころ、人々の間に、
シンとするようなほころびがあります。
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その隙間の一つ一つは、ゆっくりと広場の方に、
動いているのが、わかりました。
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男は、なんとなく安心しました。
そうです。
やはり、塔を求めて、
この街に来た人たちがいらっしゃるのです。
なにかの知恵や、情報を求めて。。
人が集う街でした。
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いくつもの扉から、薔薇窓のついた重い扉を選びます。
中には、たくさんの人々がいました。
見たこともない変わった服装の人もちらほら。
ある人はうろうろと、
ある人は、目をつぶり立ちつくしています。
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正面の大きな壁には、いくつもの通路がありました。
よくわからない文字や記号が、ゲートの上のプレートに、
浮かびあがっています。
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なんだろうと思って、凝視しても、よくわかりません。
中には、見覚えがあるものもあるようなのですが、
あれっと、見ていると、文字や記号がゆるゆると、
にじむように融けあいながら、別の姿に。。
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何かを、選ばなければなりません。
周りの方を見ていると、みなさんお困りのようです。
話しかけようにも、話しかけようとしたその瞬間から、
言葉は、音を失い、何も伝えることができません。
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男は困り果て、しばらく考えています。
無音の広間で、気づけば、引き返す人もちらほらと。
行き来をしながら、近寄っては、立ち止まり、後ろずさる人。
ゲートの前で、座り込んで瞑想を始める人も。
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男は、ゲートの前で一つずつ立ち止まります。
眼をつぶり、じっと待ちます。
何も、起こりません。
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いくつめかのゲートの前で、何かを感じました。
懐かしい様な、さびしい様な、
何かが、腕や頬を触れているような、そんな感じが微かに。
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男は、すこしずつわかってきました。
すべてのゲートを確認して回ります。
ゲートの一つ一つに、それぞれの意味があるのを
感じていました。
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暖かくも、寂しい何か、明るい笑顔のような何か、
カチンコチンと積み上げられては、
心の中が涙で一杯になってしまう何か、
逃げ出したくなる悲鳴のような、
洞窟の中で手をつないでいたくなる何か。
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いろんな何かが、あるのでした。
男は一つのゲートの前で立ち止まりました。
冷や汗が、すたすたと落ちてきそうな感じがしてきます。
涙ではなく、吐き気がこみあげてきます。
胸まで息苦しくなってきました。
心と体が、削り取られていくような、
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男は、瞼を開けました。
ゲートの文字は、そこには見えませんでした。
石造りのざらついたアーチがあるだけでした。
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静かに一歩を踏み出します。
そして、次の一歩を。
考えること、感じることを止めて、
ただ、ひたすらに前に進み始めるのでした。
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二時間後、男は、塔から出てきました。
広場の端まで歩いてくると、
振り返ります。
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いつの間にか、真っ暗な天蓋が、街を見下ろしています。
みっつの極星だけが、深い闇を切り裂くように、
唸りを上げながら、塔の頭上を、駆け巡っています。
真っ赤な紅の帯が、そこにはありました。
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コートの襟を立て、ボタンを上まで閉めていきます。
男は、リュックを担ぎ直します。
東の山の頂の傍に、黄色く輝く星が見えました。
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行き交う街の人々のざわめき。
左右には、温かそうな宿の明かり。
笑い声や、酒場から漏れ出す嬌声。
子ども二人組に、ズボンを引っ張られている、
赤い鼻を付けたピエロ。
油を炎に変えて、口から吹き出す芸人さん。
囃したてたり、もっと強く吹き出せと、懇願する周りの人々。
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男は、まっすぐに街の出口に向かって歩いて行きました。
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七つの、冬の花が、塔の中で教えられました。
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南半球にある小さな国の、大きな川沿いに咲く黄色い花。
すらったした幹に、
フワフワとやさしく咲き誇るロス、タボス。
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氷の大陸に、大地にはりつくように、
光にすがるように生きている
二つだけの顕花植物。
Nankyokuミドリナデシコ、Nankyokuコメススキ。
お花さんとは、多少呼びがたいのですが、
そこでは、全ての土地が、時間が、冬そのものでした。
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季節が逆であることを忘れてしまい、
見とれてしまった、白く愛らしいPalo Borracho。
なんと可憐な、よっぱらいの木だったことでしょう。
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ある国では、黄色っぽいクリスマスベルにはしゃいだりと、
とんちんかんなことを繰り返しながら、
6つの花までは、どうにか出会うことが出来ました。
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さてさて、残りの一つとなってからが、茨の道でした。
二か月、三か月世界中を彷徨っても、
絵の一枚、写真の一枚すら、見つけることができません。
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さすがに男も挫けそうになりました。
諦めようかと何度か、
テントの中で、寝袋の中で呟いたりしました。
そんな辛さも、宿屋で温かなスープを一杯いただいて、
狭くてもプリングが効かなくても、
真っすぐなベッドに一晩寝れると、気持ちが生き返ります。
次の朝には、お日様に向かって、
ニコッと挨拶できるのでした。
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何故、最後の花に選んだのでしょうか。
それは、情報がひとかけらしかなかったからでした。
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ある険しい山の辺りにある花。
たったそれだけです。
いえ、もう少し付け加えていただきました。
ひっそりと咲いていて、何人かしか見たことのない花。
誰一人と、絵にも写真にも撮ったことがなく、
持ち帰った者の、いない花。
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国境と言う見えない線を越えて行き来する、
いろんな民族の人とすれ違います。
羊の皮で作られた、箱のようにかっちりと、
両肩に盛り上がりがある、チョッキを着た人たちとも、
会いました。
黒板を背負って村から村へと移動する、
物書きを教える人にも。
大きな荷物を背負って昇り降りする子供たちにも。
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覆いかぶさるような岩壁の下をくぐり抜けたり、
ロープや鎖を掴みながら目をつぶって、
通らなければならない場所も、ありました。
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それでも、お日様が、自分の目線より下のほうで、
上がったり、下がったり。
雲や霧が、遠く眼下を流れて行くのを、
見れることは、とてもワクワクするものでした。
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男は今日も、山の中を歩いています。
折からの雨、ここ二三日、降り続いています。
レインキャップから、滴がポトポトと。
オイルクロスのジャケットが、明るい茶色から、
暗い茶色に変わってしまい、
なんだか重く感じて来ました。
すべりやすい足元に気を付けています。
ところどころ水溜りの中を歩かねばならず、
次第に、靴の中が冷たくなって、
右の足が濡れ始めています。
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前方に、まばらな集落が見えてきました。
山肌の間を、縫うように、高さも大きさも、ばらばらの
石造りや、日干しレンガの家が、並んでいます。
あまり人の気配がありません。下の方の街に、
大きな人たちは、働きに行っているのでしょうか。
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つづら折りの道を、いくつも曲がっていくと、
互い違いに、高さと輪郭の違う石塀が続いています。
門のある家と、ない家。男は、
どこか雨宿りのできるところ、宿はないものかと、と、
集落の中心を探そうとするのですが、
どこにもそのようなものは、見当たりません。
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少し雨が上がってきました。
東の空を見ると、雲の切れ目が、その間から遠い青空が、
見えています。
こころなしか、雲自体も、その灰色を薄めているようです。
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もう少し、歩けそうです。
向こうには、疎らな林が見えますし、
その上には、ずっと見上げれるような、
お山さんがいらっしゃいます。
林の上あたりからは、雪がのこっているようです。
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ある角を曲がると、一人の老人が椅子に腰かけていました。
雨が上がったものですから、作業台に何かを乗せて、
針や金づち、ペンチ、そんなものを用意しています。
石油缶を切り取ってこしらえたストーブに、
何本かの木切れが放り込まれて、
炎とうすい煙を上げています。
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男は会釈して、横を通り過ぎようとしました。
「。。。。。」
老人が、話しかけてきました。
立ち止まると、もう一度言われます。
「温まって、行きなさい。」
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老人は、よろず屋さんをされているようです。
男は、右の靴底に穴があいていることを思い出し、
修理をしてもらうことにしました。
老人は器用に、皺だらけの指と手を動かし、
作業を進めて行きます。
「ここに住んでいるのですか?」
老人は、後ろの家を振り向いて、それから、
首を横に振りました。
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「ここで、仕事をしているだけさ。
わしは、いつだって路上の旅人さ。」
「あなたは、誰と住んでいるんですか?」
「孤独な男の隣には、
独り言の大好きな天邪鬼がいるってな。」
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男は、探し求めているお花さんのことを、話してみました。
老人は、作業をしながら、黙って聞いています。
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靴底に、新しい革が器用に、はめ込まれました。
男は、お代を、手渡します。
「気をつけてな。
登るには、いい山かもしれないから。」
「。。。。、ありがとうございました。」
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林の中で、テントを張り、
一晩を過ごします。
西風が、ずっと吹き続けていました。
男は、ランタンの明るい炎を眺めているうちに、
いつのまにか、ぐっすりと眠っていました。
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明るい日差しに、男は目を覚まします。
テントから出ると、よく晴れ渡った空が広がっています。
昨日、通り過ぎた集落の家々から、
朝の支度でしょうか、
やわらかそうな、白や灰色の煙が立ち昇っています。
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何かを感じて、見上げますと、
何百という鶴の群れが、遥か高みを飛んでいるのが見えます。
上昇気流に乗ったのでしょうか、
山の頂に届くような高さの所を、北へ北へと
彼らの旅を続けていきます。
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男は身支度を済ませると、
山を登り始めます。
がれ場を抜け、白と灰色、黒々とした岩肌を、
ゆっくりと進んでいきます。
道はないのですけれど、
細い筋のように、微かな足跡のようなものが、
感じられるのです。
男は、それに沿うように、
一歩一歩、登っていきます。
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残雪境界線を越えたのでしょうか、
周りには動くものは殆どなくなりました。
険しくもなく、穏やかそうに山頂が、
近づくでもなく、遠ざかるでもなく、
見上げるところに立ってらっしゃいます。
大きさの変わらぬ姿を、仰ぎ見ながら、
男は登り続けます。
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山頂の真下に、急峻な岩壁がせり出していました。
そこを回りこめば、もう、そこには頂があります。
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男は、ふっと気づきました。
先ほどまで、見えていた一本の筋が、ありません。
上を見上げて、斜面を、ルートとおぼしき所を、
確認しても、何も感じられないのです。
すこし戻ってみることにしました。
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せり出した岩壁の始まりのあたりに、
身の丈ほどの岩がいくつかありました。
そちらの方で、見失ったようでした。
岩を縫うように、筋があるように、感じられます。
筋を辿ると、ひときわ大きな岩の陰へと。
そこには、岸壁に切れ目があり、
奥には、うがかれたような、静かな暗闇があるようです。
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男は、カンテラを取り出し、
火を付けました。
ずっと向こうまで、続いているようです。
そっと、歩き出します。
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狭まったり、拡がったりしながら、
何度かうねりながら、洞窟は続いていました。
吐く息は、闇とカンテラの明かりの中で、
ゆらゆらと漂います。
そして、さらさらと足元に落ちて行きます。
手がかじかんできそうな冷たさです。
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~~~ 33 ~~~
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男は、筋をたよりに歩き続けます。
何故でも、それが途切れることは、ないのだという
強い希望が生まれていました。
その希望さえあれば、筋はそこにありつづける、
そう思いながら、歩き続けます。
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何度も壁に、腕や肩をぶつけたり、こすりながら、
進んでいると、前方が、ぼんやりと明るくなっています。
通路に終わりがきたのでしょうか。
部屋ほどの広さの空間が、淡い緑に包まれています。
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いくたびか出会えたヒカリゴケの一種でしょうか。
部屋を、その輪郭を幽かに、浮かび上がらせています。
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男はカンテラを消しました。
炎の強い明かりで、緑いろの光が、
かき消されてしまいそうでしたから。
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しばらくすると、穏やかな緑の光の中で、
いくつかのものが、薄影を身にまといながら、
瞳に語りかけてくるのでした。
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~~~ 34 ~~~
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奥の壁際に、石で積み上げられた塚がありました。
たおやかな緑の光で包まれています。
その前には、岩壁から剥がれおちたのでしょうか、
平たい岩が一枚、祭壇のように置かれています。
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そして、年老いた男が、もたれかかる様に、
横たわっていました。
右手には、何かの木から削りだされたのでしょうか、
女性の姿をあしらった小さな像が握られています。
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岩の上には、4つの氷の柱が置かれていました。
円柱に整えられた、30cmほどの高さでした。
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男は、そっと息を氷の柱に吹きかけました。
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かすかに表面がにじんでは、すーっと透明になりました。
そこには、花が一輪入っていました。
しばらくすると、うすい氷色の中に、かすんでゆきます。
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4回男は、息を吹きかけました。
しばらくして、男は光ごけの部屋を立ち去ります。
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~~~ 35 ~~~
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知識の塔で、何故、あのゲートをくぐったのか。
何かを失わなければ、何も手にはできない、
出会えないという、そんな気がしたからでした。
失くしたのが、トキのいくばくかなのか、
帰るべき、あの温かい家なのか、
それは、まだわかりません。
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数百年でしょうか、
いえ、もっと長い間でしょうか。
あの老人が、花をささげた女性の傍で過ごしている、
トキの流れを、思っていました。
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春の喜びの花
夏の爽やかさの花
秋の豊穣さの花。
氷の中に浮かび上がった花たち。
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四つ目の柱の中には、白く輝く花が入っていました。
雪を固めて作られた5弁の花が一輪。
このあたりには、冬の花がなかったのでしょうか。
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~~~ 36 ~~~
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男には、4番目の花が、探し求めていた「幻冬花」なのか、
それとも4つの花すべてが、求めていた花なのか、
それは、わかりませんでした。
別の花があるのかもしれませんし。。
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何が幻なのか、
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現実の花と、幻の花。
現実の花は、散り終えると、心の花になり、
想いがこめられて、幻の花になり。。
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男は頂上から、世界を見渡しました。
全ての方向に、世界は拡がっていました。
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~~~ 37 ~~~
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山脈の中で、一番高い山ではありませんが
しずかに輝く空がありました。
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そしてそのはるか上にあるかもしれない、世界。
男を導いてくれた、あの細いかすかな筋のように、
求め続ければ、いつか、出会えるのかもしれません。
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男は、ふっとそんなことを思っています。
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確かに、一つの旅が終わったようでした。
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Fine
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「後書きに代えて」
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みっつの冬のお話はこれで、おしまいです。
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男はまた、どこかの冬を楽しんでいるのでしょうか。
なかなかに懲りない人のようですから。
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旅を終え、温かな宿か故郷の家の中で
蜂蜜酒に顔を赤らめながら、
原稿をしたためているのかもしれません。
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そうでした。
山から下りてきた男が、呟いていたのです。
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「輝く冬があるから、冬のお別れの言葉を、
春が愛おしんでくれるのかもしれない。
こんなにも世界を、やさしく抱きしめているのだから。。」
こんな風に、聞こえました。空耳かもしれませんが。。
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☆扉絵
Ivan Aivazovsky (1817~1900) Russian painter
☆挿絵
01.02
Edouard Vuillard (1868~1940) French painter
04
Odilon Redon (1840~1916) French painter
06.07
John Ruskin (1819~1900) British painter
03.05.08.09
Jan Mankes (1889~1920) Dutch painter
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お話に寄り添ってくれた、一枚一枚の絵に、
そして画家さんに、深い感謝を。
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このお話を、冬の好きな人へ、冬を愛する人たちへ、
そして、絵を愛する人たちへ捧げます。
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モッキングバード